嫌な人なのに運が良いのはなぜなの?

運勢が悪くなる時と運気アップの方法

人の運・不運って不思議ですが、嫌な人なのに、運が良くて、更に嫌になるということがあります。

方位学的には、運の良し悪しに関して、その人の人間性は基本的に関係がありません。

これは方位学での見方です。

方位の影響というのは、人を差別しませんので、仮にその人が本当に嫌な人でも、吉方位に行けば運気は上がりラッキーな事が多くなります。

そんな不公平な!って思うかもしれません。

ただ、ちょっとお待ちください。

本当に嫌な人かどうか、というのがまず第一に大切な事です。

嫌かどうかというのはとても主観的なものです

あなたが嫌だと思っても、別の人は良いと思うかもしれません。

たとえあなたが常識人であっても、別の常識人もいるわけです。

実際のところ、全ての人に嫌われる人というのはなかなかいません。

別に性善説をお話しようとしているのではなく、そういうものではありませんか?というお話です。

この点で運気の善し悪しに違いはありません。

たとえ方位学以外であっても同様です。

ただし、嫌な人かどうかは別として、他人に対して意地悪をする人はトータルバランスとして運気を下げます

意地悪をするというのは、人に理不尽な迷惑をかけるということです。

運気というのは、その瞬間だけで物事の判断は出来ません。

運の善し悪しというのは最終的に死ぬところまで判断できないと言われます。

あなたが死ぬときに、「あ~楽しい人生だった」と思えるかどうか、それが運が良いか悪いかという最終判断となります。

苦しみぬいて死ぬということは、今からは想像出来ないかもしれませんが、運というのはちゃんと帳尻が合うように出来ています。

方位学でいくら運気を上げようとも、他人に対して言われない不合理を与えれば、運気以外の部分が下がります。

分かりやすいところで言えば、その人の人間性や品位です

人というのは不思議で、一般的に嫌な事をする人、というのは人徳がありません。

人徳が無いという事は、その分損しているわけです。

「あの人には協力したくない」という気持ちのことです。

逆に「この人に是非とも協力したい」という気持ちもありますよね。

「協力したくない」というのは人徳が低くなっている状態を示し、「協力したい」というのは人徳が高い状態を示しています。

ただし、この場合も、運の善し悪しというのとは直接関係してきません。

運の善し悪しというのは、タイミングが良いかどうかという言葉に置き換えられます。

いくら人徳があってもタイミングがだめならどうにもならない

逆に人徳が無くても、タイミングがベストならとんとん拍子で進んでいきます。

しかし、死ぬ時にはその帳尻が合うように出来ています。

運の善し悪し、人徳などのその人がそれまでに生きてきた証、それらの結果は最後に合います。

運も良くしながら、人にも良くする、それが大切です。

嫌な人の事は見ないのが一番です。

見ればあなたも嫌な気持ちになると思います。

そんなことに時間を費やしている場合ではないのです。